平成7年6月定例会 第2回岩手県議会定例会 会議録

前へ 次へ

〇36番(小原宣良君) ただいま議長から報告のありましたとおり、片方盛議員におかれましては、去る6月26日午前6時20分、胸膜炎による呼吸不全により、66歳の生涯を閉じられました。突然の悲報に接し、惜別の情絶ちがたく、まことに哀悼、痛惜の念にたえません。
 ここに、先輩、同僚議員の御同意をいただき、議員一同を代表し、哀悼の言葉を申し述べます。
 片方盛先生は、温厚にして篤実、清廉なお人柄をもって市民の方々に接してこられ、厚い信頼のもと、皆さんからは盛さん、盛さんと、親しみを込めて呼ばれておられました。
 先生は、昭和3年9月、当時の和賀郡黒沢尻町町分に生を受けられ、戦後の混乱が続く21年3月、県立岩谷堂農林学校を卒業後、22年7月から31年3月までの9年間黒沢尻町役場に、また、合併後の北上市役所に奉職され、地方行政の第一線で御活躍されたところであります。私にとって、市役所の大先輩でもございます。
 その後、昭和32年4月、現在の丸片グループの前身である丸片ガソリン店を創設されました。それは、9人兄弟の長男として兄弟を養い、何としても学校に行かせたいとの一念からであったとお聞きいたしております。
 以来、順調に事業を拡大し、地域産業の振興と地域経済の発展に多大の貢献を果たされ、昭和58年12月には、北上商工会議所会頭に就任され、特に諏訪町商店街の全蓋アーケード化に際しては本県で初の設置に尽力され、文字どおり北上市の産業経済界の代表として重きをなされたのであります。
 昭和38年4月、先生は地元の青年団等に推され、弱冠34歳にして北上市議会議員に立候補、当選し、初陣を飾り、以来、連続5期当選され、政治家としての道を歩み始められました。その間、市議会議会運営委員長、また、特にも昭和54年5月から昭和58年2月までは議長の要職を務められ、北上市勢発展に尽くされたのであります。
 次いで、昭和62年4月に行われた岩手県議会議員選挙におきましては、前回の雪辱を晴らし、見事に初当選を果たしたのであります。このときは、私も片方先生と御一緒の初当選でありました。
 県議会議員に当選後の先生は、市議会議員5期の経験を踏まえるとともに、得意とする産業経済を所管する保健商工委員会の副委員長、次いで福祉文教委員会の副委員長、また、土木委員会、議会運営委員会、地域経済活性化対策特別委員会、国際交流対策特別委員会、人材福祉対策特別委員会の各委員、県政調査会副会長等を歴任され、さらに平成3年5月には、福祉文教委員会委員長として、平成11年本県開催のインターハイ主会場決定の激しい議論の中で円満解決を見たことは、かかって、先生のお人柄によるところ大なるものがございました。また、そのほか商工業審議会委員、観光審議会委員、都市計画地方審議会委員等、県の各種委員についても要職を歴任されるなど、大いなる御活躍をなされました。
 去る4月9日に行われた統一自治体選挙においては、旧和賀選挙区を含めた新北上選挙区から3選を目指して立候補され、選挙区事情の変化をものともせず、かつまた、私どもの懸命の追撃にもかかわらず、堂々たるトップ当選を果たされ、新進・公明所属の先輩議員として今後のさらなる御活躍が期待されていたところであります。
 所属政党が違うとは申せ、県政のさらなる発展のため、一緒に議員活動のできることに喜びを感じ、不肖、私も微力をささげてまいりました。
 今回の選挙戦のさなかに、必ずしも体調が万全とは言えなかったようでありますが、初回当選後にも一時体調を崩され、緊急手術を受けられましたが、その後何事もなかったかのように回復をされた気力の持ち主である先生のことですから、そのうちまた元気になられて、あの柔和な笑顔に接することができると信じておりました。
 議員全員協議会が行われた5月9日にお会いした際には、顔色がいささかすぐれないようにお見受けをし、先生に声をおかけし、大事になさるようお話を申し上げ、手を握ったのが私にとっては先生との最後のごあいさつとなってしまいました。
 入院治療中とはお伺いいたしておりましたが、その後、一時よくなられて退院されたとお伺いし、遠からず完治され、お元気に活動でき御指導いただけるものと信じておりました矢先、26日未明、にわかに容体が急変し帰らぬ人となられたことは、返す返す残念でなりません。
 私がこの悲報に接したのは、26日午前7時45分ころであります。先生の同級生の守屋さんが知らせてくれました。私は、ただ茫然とし、我が耳を疑うのみでありました。うそだろう、うそだろうと問い返しましたが、それは冷厳な事実でありました。 思えば、その志半ばにして、不帰黄泉の客となられた先生の無念さはいかばかりでありましょう。そして、最愛の夫、最愛の父、一家の主柱を突然亡くされた御遺族皆様の御悲嘆は察するに余りあり、お慰めの言葉もございません。心より、心よりお悔やみ申し上げます。
 先生は、鋭い経営感覚と的確な判断力を縦横に駆使し、丸片グループを一代にして一大企業に築き上げた時代の傑物でありますが、先生は、議員となられてからもいささかも気取らず、また、偉ぶらず、飾らず人々と接してまいりました。しかし、一たん事に当たっては解決のため全力を傾注し、邁進されました。
 先生が歩んでこられたこれまでの県政の実績も、各分野において燦然と輝いております。残された御遺族もまた、この先生の御遺志を体し、片方家の名誉を守り、ますます繁栄の道を進まれるものと確信いたします。
 さらに、先生の業績を示すものとして、全国市議会議長会表彰、全国市議会議長会特別表彰、また、全国都道府県議会議長会表彰等を多く受けられましたが、特にも、これら長年の地方自治に尽力した御功績により、平成3年11月、地方自治功労者として藍綬褒章を受章されました。先生のお人柄や御功績はまだまだたくさんありますが、私の言葉乏しくして、意を尽くし得ないことをお許しいただきたいと存じます。
 今国会において地方分権推進法が成立し、まさに先生が長年心魂を砕いて打ち込んできた地方の時代が、ようやくその緒につかんとしている今日、我々は先生にその豊富な経験と卓越した識見、高い指導力に裏打ちされた地方の時代のあり方等に御教示いただけるものと思っていたとき、卒然として逝去されたことはまことに痛恨のきわみであります。
 本日ここに、私ども県議会は、今は亡き先生の議席に遺影を飾り、生花をささげ、御遺族の御臨席をお願いし、列席の執行部の皆さん、同僚議員各位がそれぞれに先生の人となりをしのびつつ、静かに御冥福をお祈りいたしております。
 長逝された片方盛先生の心からの御冥福をお祈り申し上げ、追慕の情を表し、追悼の言葉といたします。
   黙 祷
〇議長(堀口治五右衛門君) この際、故片方盛君の御冥福を祈るため、黙祷をささげたいと思います。
 一同御起立を願います。
   〔全員起立〕
〇議長(堀口治五右衛門君) 黙祷をささげます。
   〔黙祷〕
〇議長(堀口治五右衛門君) 黙祷を終わります。
 御着席を願います。
   日程第1 一般質問
〇議長(堀口治五右衛門君) これより本日の議事日程に入ります。
 日程第1、一般質問を行います。
 順次発言を許します。伊藤勢至君。
   〔16番伊藤勢至君登壇〕(拍手)

前へ 次へ