平成8年2月定例会 第5回岩手県議会定例会 会議録

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〇30番(藤原良信君) ただいま議長から御報告のありましたとおり、千葉英三先生は、去る3月3日午前1時54分、肝不全により70歳の生涯を閉じられました。まことに痛惜の念にたえません。ここに先輩、同僚議員の御同意をいただき、議員一同を代表し、哀悼の言葉を申し述べます。
 先生は、大正14年5月、当時の気仙郡赤崎村跡浜に生を受けられ、第2次大戦さなかの昭和18年、県立盛農業園芸学校を御卒業されました。同19年1月に当時の赤崎村役場に奉職され、戦後の混乱が続く25年には早くもその才が見込まれて経済課長の要職につかれたのであります。その後、合併後の新生大船渡市の職員となり、その間、商工課長、保健課長、福祉事務所長、商工観光課長、水道事業所長を歴任されるとともに、51年4月から58年2月までの2期7年間にわたり大船渡市助役の重責を担い、臼井勝三市長を補佐するなど、まさに地方行政の第一線で御活躍され、文字どおり地方行政一筋の人生を歩んでこられたのであります。昭和58年4月の地方統一選挙には、地域住民の熱い推挙により、また、停滞ぎみの気仙地域の振興と再生のため、さらには県境の地域振興をとの意欲に燃え、県議会議員選挙に勇躍立候補され、激戦の中、見事初当選の栄冠を射止められ、ここに地域の輿望を担った先生の県議会議員としての生活がスタートしたのであります。
 議員に当選された先生は、迷うことなく土木委員会に所属し、委員として当地域のみならず、700キロの総延長を占める本県の複雑な入り江、湾口、海岸線が及ぼす地震に伴う津波災害等による防潮堤建設等の防災対策に積極的に取り組まれたのであります。
 御承知のとおり、大船渡湾のみならず、三陸沖は、その地形上、有史以来地震の巣と言われ、また、地震より恐ろしい津波による人的、物的損壊ははかり知れず、三陸の歴史はそのまま我が国の津波被害の歴史と言っても過言ではありません。昭和37年発刊の大船渡災害誌によると、記録に残されている津波被害は、西暦869年以降、すなわち貞観11年5月以来、昭和35年のチリ地震まで28回に及んでおります。特にも明治29年、昭和8年の三陸大津波では壊滅的な被害を受けたのでありますが、さらに昭和35年のチリ地震津波では戦後最大の被害を受けたのであります。この当時、大船渡市の商工課長の要職にあった千葉先生は、これらの対策に文字どおり不眠不休、寝食を廃して奔走され、三陸の沿岸住民とともに敢然としてこれに立ち向かい、県、国等へのたび重なる陳情や提言をされ、三陸高潮対策事業として、その規模の壮大さから海の万里の長城とも言われます防潮堤、湾口防波堤、避難道路の建設等に結びつけられたことは大きな功績であり、この事業は現在もなお続けられているところであります。
 さらに先生は、土木委員として、現在も主要な県政課題である沿岸部と内陸部の格差是正を常に主張し、声を大にして沿岸地域の振興と活性化を図ることが県勢の発展につながるとの信念のもとに、日夜渾身の努力を傾けてこられたのであります。そのため、まず、道路網の整備が最重要であるとの認識から、いわゆる県単独事業としての8ルート12路線の整備に取り組まれ、特に荷沢峠の改良に力を注がれたことはつとに知られており、特筆されるところであります。
 また先生は、議会運営委員、異常気象対策特別委員、交通対策特別委員として、さらに資源エネルギー対策特別委員会副委員長、総務委員会副委員長を歴任されたほか、県の審議会関係では社会福祉、県営医療、水産、商工業振興、地方港湾等の各種審議会の委員として寧日なき活動の日々を過ごされたところであります。
 次いで昭和62年の統一地方選挙では、沿岸地域の振興を図る議員として、再び県議会へとの住民の強い声がこの選挙を圧勝させたのでありまして、不肖私もこの選挙で初当選の栄に浴したところであります。
 2期目の県議会に当たりましては、委員会も変わって農林水産委員会の委員長として、本県の基幹産業であります水産業及び農業の発展のために専心努められ、大いにその振興に力量を発揮されたところであります。
 また、平成元年6月からは議会選出の監査委員に就任され、県のお目付役として、適正な財務執行と公正かつ能率的な行政運営の確保に多忙な日程の中、県内外各地をつぶさに調査され、監査事務を通じても県勢の発展に貢献されたところであります。
 そして、いよいよ千葉先生の今までの多大な功績と人望が高まり、3期目の平成3年4月の地方統一選挙では、先輩、同僚議員からはうらやまれる無投票当選という、先生にとりましても私にとりましても初めての経験をさせていただいたところであります。この任期中におきましては、岩手のイメージアップ推進対策特別委員長、予算特別委員長として、卓越した手腕を発揮され、平成5年11月には地方自治功労者として全国都道府県議長会表彰を受けられたのであります。
 また、この間、自由民主党岩手県連幹事長という在県執行部の最高責任者の地位につかれ、県政最大政党の実質的な采配を振るったのであります。
 戦後50年を経て、中央においては、時あたかもいわゆる55年体制が崩壊し、連立政権が誕生。我が国の政治情勢の新たな激動期に入ったかとも思われる政治状況の中で、先行き不透明感が増してまいり、その胎動が地方議会にも鋭敏に反映してまいったのであります。この結果、私どもは長年同志として一緒に行動してまいりました会派を離れ、新たな会派を結成したところであります。その際、先生からは、お互いにこれからも一緒に切磋琢磨しながらやっていこうと励まされ、語り合ったのがついきのうのように思い起こされます。会派を異にしたとはいえ、地元大船渡気仙地域の振興、発展を思い、地域住民福祉の向上を願う心は同じであったところであります。
 昨年の4月執行の地方統一選挙におきましては、自由民主党の牽引車として、文字どおり東奔西走、率先して陣頭の指揮をとり、奮闘努力されたのであります。
 一方、先生は、常日ごろから健康には特に注意され、三、四年ほど前からは定期的に検査入院をされるなど、健康には十分気を使っておられましたが、この選挙のときのお疲れか、あるいはまた、一緒に議員活動を行い、厚い友情に結ばれていた同僚議員の勇退等の影響もあったのか、一時よりいささか元気がなくなられたようにうかがわれたのであります。
 改選後は一切の役職を既に後進に譲っておられましたので、今後はさらに充実した議員活動に専念することができると思われていたところでありますが、昨年7月の参議院議員選挙の際には体調がいま一つすぐれず、入院されたとの報に接したところであります。私は、いつもの検査入院ではないか、9月定例会のお元気なお姿から、ほどなくして体調も本復されて、またあの張りのある声で演説や講演に出かけられるものと思っておりました。ところが、年が明けました1月の閉会中の委員会の際お会いしましたときに、腹に水がたまっているようだとのお話があり、心配しておりましたところ、2月中旬に岩手医科大学附属病院におきまして病状が悪化したとの報を受けたところであります。しかしながら、先生は驚くべき強靭な精神力と気力でもって病魔と闘い、また、奥様を初め、御家族の懸命な看病のおかげもあってか、小康状態を保っておられたのでありますが、去る3月3日午前1時54分、医師団の手厚い看護も及ばず、ついに70歳を一期として帰らぬ客となられたのであります。まことに痛恨の念にたえません。
 この悲報に接し、私は、先生のこれまでの大船渡市政、気仙地域、県勢発展のために尽くされた御労苦と御功績に対し深く感謝を申し上げるとともに、さらなる御教導をいただきたかったとの思いを強くしたのであります。ましてや、その志半ばにして不帰黄泉の客となられた先生の無念さはいかばかりでありましょう。そして、最も先生を頼りにされておられた奥様ふみ様を初め、御家族の方々の御悲嘆は察するに余りあり、お慰めの言葉もございません。ここに心よりお悔やみを申し上げる次第であります。
 そしてまた、まだまだ地元のため頑張ってもらいたかった地元大船渡の皆さんにとりましても返す返すも残念であったであろうことを思うとき、その胸中はいかばかりかと存じ上げる次第であります。
 千葉先生は、温厚にして篤実、清廉で気さくなお人柄で市民の方々に接してこられ、厚い信頼のもと、皆さんからは英三さんの愛称でもって親しみを込めて呼ばれておられました。また一方、先生は座談の名手としても有名で、興至ればあの朗々とした艶のある声で木更津甚句などを歌われ、座を盛り上げたものでありました。まことに軽妙洒脱、いわゆる味のある方でありました。しかし、一たん事に当たっては豪気果断、筋を通す方であったのは衆目の一致するところであります。
 先生は、地方行政一筋に歩んでこられたわけでありますが、その歩みは、ただいま申し上げました沿岸部と内陸部の地域格差是正を大命題として精魂を傾けられ、さらにまた、地震、津波等の防災対策及び社会基盤整備に取り組まれてこられたのであります。残された私どもは、先生のこの御遺志を必ずや引き継ぎ、これが推進のため全力を投ずる覚悟でありますので、在天から見守っていただきたいと存じます。
 今、先生が長年なれ親しまれ、格差是正について情熱を持って力説されてこられた本議場の議席には遺影が安置され、生花が楚々として先生の遺影に寄り添っているかのようであります。
 本日、奥様のふみ様を初め、御遺族の方々においでをいただいておりますが、先生の御遺志を体し、今後とも御活躍くださいますことを心から御期待をいたすものであります。
 千葉英三先生の御功績をたたえるにはまことに舌足らずでありますが、ここに知事を初め、執行部の皆様、同僚議員とともに千葉英三先生の御逝去を惜しみ、謹んで御遺徳をしのび、心から御冥福をお祈り申し上げて追悼の言葉といたします。
 合掌。
   黙祷
〇議長(堀口治五右衛門君) この際、故千葉英三君の御冥福を祈るため、黙祷をささげたいと思います。
 一同御起立願います。
   〔全員起立〕
〇議長(堀口治五右衛門君) 黙祷。
   〔黙祷〕
〇議長(堀口治五右衛門君) 黙祷を終わります。
 御着席を願います。
   諸般の報告
〇議長(堀口治五衛門君) 日程に入るに先立ち、諸般の報告をいたします。
 各委員長から、それぞれ委員会報告書の提出がありますが、後刻詳細に報告を求めますので、朗読を省略いたします。
   日程第1 議案第42号平成7年度岩手県一般会計補正予算(第5号)から日程第27議案第68号北上川水系に係る一級河川の指定を変更することについての意見に関し議決を求めることについてまで
〇議長(堀口治五右衛門君) これより本日の議事日程に入ります。
 日程第1、議案第42号から日程第27、議案第68号までを一括議題といたします。
 各案件に関し委員長の報告を求めます。村上総務委員長。
   〔総務委員長村上恵三君登壇〕

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